日本国憲法について(2024.05.03)

憲法記念日には、毎年憲法を読むようにしている。

弁護士としてはベタなルーティンと思われがちだが、むしろ弁護士になってしまうと憲法を読まなくなるひとが多いので、意識的に読むようにしている。

今年からは、年に一回以上事務所のブログ更新を目標として、毎年憲法について徒然なるままに思うところ考えるところを投稿しようと考えた。


憲法の制定・公布・施行についてはすでに数多く語られているから、ここでは端的に憲法解釈論を述べたい。


日本国憲法は周知のとおり前文と11の章から成る。

そこで、個々の条文の解釈に立ち入る前に各章で何が定められているかを確認しておく。


(前文)

前文では、憲法の理念が示されている。

憲法の基本原理ないし三大原理と呼ばれる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」が繰り返し現れる。


(第1章 天皇)

第1章には、象徴天皇制に関する定めが置かれている。

天皇の象徴的機能は大日本帝国憲法時代から変わっていないが、同帝国憲法から大きく変わったのは、天皇が主権を喪失した点である。

第二次世界大戦前の天皇制に対する反省から、天皇を君主でも元首でもない特殊な国家代表機関として位置づけるところに第1章の主眼がある。


(第2章 戦争の放棄)

第2章は第9条一箇条のみが置かれ、平和主義の根本規範が定められている。

憲法第9条は戦争放棄を謳った第1項が注目されやすいが、むしろ第2項の戦力不保持にこそ主眼がある。

それゆえ自衛隊の存在は違憲か合憲かという議論が警察予備隊発足以来絶えず行われていることに留意しなければならない。


(第3章 国民の権利及び義務)

第3章に列挙されているのは日本国における人権宣言規定である。

フランス人権宣言が起草されて以来、諸国の近代憲法では基本的人権に関する定めを置く習わしが定着し、大日本帝国憲法と日本国憲法もその例に倣っている。

日本国憲法上の人権規定に関し、重要なことは、大日本帝国憲法と異なり「法律の留保」を認めていない点である。

憲法学上の「法律の留保」とは、人権制約根拠が法律に留保されるという考え方であり、戦前の憲法学によれば人権は法律の定め方次第でいかようにも制約することが可能と解されていた(なお行政法学上の「法律の留保」と憲法学上の「法律の留保」はいずれも<法律の根拠があれば権利制約が可能である>という意味において共通しているが、憲法学上は憲法上の権利の制約根拠という意味で用いられている点で権利制約の次元を異にする概念であるといえる。)。

しかし、戦後制定された日本国憲法では、立法府・行政府の専横を防ぐため、かかる「法律の留保」を排斥し、人権制約根拠を「公共の福祉」という人権内在的制約原理に求めることとした。

もっとも「公共の福祉」を具現化するのは諸々の行政法規であるから、これら行政法規が「公共の福祉」の名目下で人権侵害をしていないかは絶えず検証する必要がある。

そのための司法府の存在であり、そのための司法権の独立である。


(第4章 国会)

第4章から第8章には、日本国の統治機構に関する組織法の定めが置かれている。

第4章は、立法府たる国会に関する組織法の章である。

統治機構の筆頭として国会が挙げられていることには理由があり、国会が主権者たる国民に最も近い距離に位置することがその理由である。


(第5章 内閣)

第5章は、行政府たる内閣に関する組織法の章である。

日本では戦前から議院内閣制を採用しており、GHQは天皇制を存置することを決定した際に、日本の社会的風土として立憲君主制に近い政治体制を日本国憲法に残すのが得策と考えたようである。

議院内閣制は本来立法府優位の民主政治体制であり立法府の行政府に対する牽制機能が期待されるところ、日本では政権担当政党(与党)が長期にわたり行政権と立法権を独占する状態が生じる原因となってしまい、政治腐敗の温床に化している。


(第6章 司法)

第6章は、司法府たる裁判所に関する組織法の章である。

「司法」とは、要するに裁判のことだが、法を司る、とは、法を解釈適用して法的紛争を解決することを通じて法秩序を維持する作用を表す言葉である。

「秩序の維持」というと誤解を招きかねないが、ここにいう法秩序にはもちろん憲法秩序も含まれる。

それゆえ司法府(裁判所)は、「人権保障の最後の砦」と称される。


(第7章 財政)

第7章は、財政という行政作用について定める章である。

行政作用であるにもかかわらず内閣の章に置かれていないのは「財政民主主義」(憲法83条)という基本原理が存在するからである。

国家運営(例:道路建設、橋建設)のための原資となる税金の調達と支弁を行う活動は、本来的に行政作用である。

議院内閣制のもとでは本来行政府は法律の覊束に従って行政活動を行わなければならないはずであるが、現実には政令、省令その他の行政立法の制定が広汎に認められており、行政指導が実質的に行政処分を代替しているため行政府の肥大化が相当進んでしまっている。

しかし租税の賦課徴収及び金銭の支弁行為は、行政府の専横を許すべくもない、法律の強力な覊束が強く求められる行政作用である。

それゆえ内閣の章とは別の章立てをして、独立に財政の章が設けられた。


(第8章 地方自治)

第8章では、地方自治制度に関する基本原理が定められている。

戦前にも、国内の地域を区分して統治するシステムは存在した。

戦前の郡県制は、明治維新の際に江戸時代の藩制度を廃止してこれに代わる県を置くとともに、中央集権的な統治体制確立の便法として設けられたものである。

これに対し、戦後は地方制度として、垂直的権力分立を実現すべく「地方公共団体」という概念を導入し、都道府県と市町村の二重構造体制を採用することとした。

第8章で最も重要な概念は「地方自治の本旨」であり、この概念を理解することは必須である。


(第9章 改正)

第9章は、第96条一箇条のみから成り、日本国憲法の改正手続を定めている。

この章の改正手続を具体化するための法律すなわち憲法改正国民投票法は既に制定されている。

日本国憲法は、憲法改正手続を法律改正手続より厳格にしており、いわゆる「硬性憲法」に当たる。


(第10章 最高法規)

第97条は基本的人権の本質について定め、第98条が日本国憲法の形式的最高法規性を定める。

第97条は、第11条の宣言的規定(「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」)と同旨・同内容の定めであるが、最高法規の章で基本的人権の享有について再言した趣旨は、憲法が人権保障の根本規範を定めるものであることが憲法を実質的に最高法規たらしめていることを明らかにせんとする点にある。

第99条は公務員その他の国家機関が憲法を尊重し擁護すべきことを定めている。

本条の名あて人が国民ではない点に留意しなければならない。


(第11章 補則)

章題のとおり、憲法の施行日等を定める付則が置かれた章である。


以上が日本国憲法の概要である。

諸々の必要に迫られて憲法を学ぶ人は少なくないが、より多くの人が積極的に憲法に関心を持ち、憲法解釈論が深化することが期待されている。

このブログが憲法の理解の一助になれば幸いである。

なお、個々の条項の解釈については追って機会をみて(年に一回くらいになるかもしれない)、逐次このブログにアップしていきたい。

最後に断っておくと、このブログに書いている内容はすべて弁護士としての私個人の見解であるが憲法学の通説的見解を踏まえたものであること、そして日髙法律事務所の見解でもあることを付言しておく。