最近のニュースから【児童扶養手当法・憲法~併給調整規定の合憲性】

児童扶養手当不支給訴訟 原告女性の請求棄却 京都地裁判決


<記事抜粋>

「障害基礎年金を受給するひとり親が児童扶養手当を申請すると、配偶者がいる場合には受け取れる手当が支給されないのは法の下の平等に反し違憲だとして、京都府の女性が府に不支給処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、京都地裁は16日、女性の請求を棄却した。増森珠美裁判長は、不支給の根拠となった国の規定について「著しく合理性を欠くとはいえない」として、合憲と判断した。」


 判決によると、女性は児童扶養手当を受給していた2017年4月に障害基礎年金の給付決定を受けたところ、府が18年1月に手当支給を停止。不支給の取り消しを求めて19年7月に提訴した。  

 増森裁判長は同年金と扶養手当について、いずれも「受給者への所得保障という点で同一の性格を有する」と指摘。二重給付を避ける制度を設けることは「行政の裁量に属する」として原告側の主張を退けた。配偶者のいる家庭との差についても「世帯の人数や受給者が異なるから、単純比較して差別や不均衡があるとはいえない」とした。



<所感>

本件は,10代の子ども4人を養育し児童扶養手当を受給していたシングルマザーが,筋繊維痛症という難病を発症したため,2017年4月に障害基礎年金の支給決定を受けたところ,児童扶養手当の支給が停止されたため,当該支給停止決定の取消しを求めて出訴したものである。


児童扶養手当法13条の2第2項第1号本文は,「国民年金法の規定に基づく障害基礎年金その他障害を支給事由とする政令で定める給付(次項において「障害基礎年金等」という。)及び国民年金法等の一部を改正する法律(昭和六十年法律第三十四号)附則第三十二条第一項の規定によりなお従前の例によるものとされた同法第一条による改正前の国民年金法に基づく老齢福祉年金以外の公的年金給付を受けることができるとき。」を児童扶養手当の不支給事由としている。


女性は,訴訟において,上記規定による併給調整が法の下の平等を保障する憲法第14条第1項に違反し,無効であると主張していた。記事からは明らかではないが,以下に紹介する最高裁判例では憲法25条違反,憲法13条違反も争われている。


障碍者である一人親が,障害年金と児童扶養手当の併給調整規定により,一方の給付を受けられなかったことを争った,本件の類似事案である著名事件に「堀木訴訟」という事件がある(最高裁昭和57年7月7日大法廷判決・民集 36巻7号1235頁)。


堀木訴訟は,視力障碍者である女性が国民年金法に基づく障害福祉年金(当時)を受給中に,内縁の夫との離別により一人親家庭になったことを機に,居住地である兵庫県に対して児童扶養手当受給のための認定申請をしたところ,児童扶養手当法4条3項3号(当時)の併給調整条項に該当するとの理由で当該認定申請が却下され,却下に対する異議申立ても棄却されたため,女性が認定申請却下の取消し等を求めて出訴したという事案である。


堀木訴訟における最高裁大法廷判決は,以下のように判示している。なお,太字は強調のため当職が施したものである。


憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、この規定が、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであること、また、同条二項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しているが、この規定が、同じく福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであること、そして、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきことは、すでに当裁判所の判例とするところである」

「このように、憲法二五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。しかも、右規定にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがつて、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。

「そこで、本件において問題とされている併給調整条項の設定について考えるのに、上告人がすでに受給している国民年金法上の障害福祉年金といい、また、上告人がその受給資格について認定の請求をした児童扶養手当といい、いずれも憲法二五条の規定の趣旨を実現する目的をもつて設定された社会保障法上の制度であり、それぞれ所定の事由に該当する者に対して年金又は手当という形で一定額の金員を支給することをその内容とするものである。ところで、児童扶養手当がいわゆる児童手当の制度を理念とし将来における右理念の実現の期待のもとに、いわばその萌芽として創設されたものであることは、立法の経過に照らし、一概に否定することのできないところではあるが、……(中略)……障害福祉年金、母子福祉年金及び児童扶養手当の各制度の趣旨・目的及び支給要件の定めを通覧し、かつ、国民年金法六二条……(中略)……及び児童扶養手当法五条……(中略)……各所定の支給金額及び支給方法を比較対照した結果等をも参酌して判断すると、児童扶養手当は、もともと国民年金法六一条所定の母子福祉年金を補充する制度として設けられたものと見るのを相当とするのであり、児童の養育者に対する養育に伴う支出についての保障であることが明らかな児童手当法所定の児童手当とはその性格を異にし、受給者に対する所得保障である点において、前記母子福祉年金ひいては国民年金法所定の国民年金(公的年金)一般、したがつてその一種である障害福祉年金と基本的に同一の性格を有するもの、と見るのがむしろ自然である。そして、一般に、社会保障法制上、同一人に同一の性格を有する二以上の公的年金が支給されることとなるべき、いわゆる複数事故において、そのそれぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであつても、事故が二以上重なつたからといつて稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加するといえないことは明らかである。このような場合について、社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、さきに述べたところにより、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。また、この種の立法における給付額の決定も、立法政策上の裁量事項であり、それが低額であるからといつて当然に憲法二五条違反に結びつくものということはできない。

「次に、本件併給調整条項が上告人のような地位にある者に対してその受給する障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じたことが憲法一四条及び一三条に違反するかどうかについて見るのに、憲法二五条の規定の要請にこたえて制定された法令において、受給者の範囲、支給要件、支給金額等につきなんら合理的理由のない不当な差別的取扱をしたり、あるいは個人の尊厳を毀損するような内容の定めを設けているときは、別に所論指摘の憲法一四条及び一三条違反の問題を生じうることは否定しえないところである。しかしながら、本件併給調整条項の適用により、上告人のように障害福祉年金を受けることができる地位にある者とそのような地位にない者との間に児童扶養手当の受給に関して差別を生ずることになるとしても、さきに説示したところに加えて原判決の指摘した諸点、とりわけ身体障害者、母子に対する諸施策及び生活保護制度の存在などに照らして総合的に判断すると、右差別がなんら合理的理由のない不当なものであるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。また、本件併給調整条項が児童の個人としての尊厳を害し、憲法一三条に違反する恣意的かつ不合理な立法であるといえないことも、上来説示したところに徴して明らかであるから、この点に関する上告人の主張も理由がない。


以上が堀木訴訟最高裁大法廷判決の判旨である。


記事の事件において京都地裁は,上掲の堀木訴訟最高裁大法廷判決をふまえて,併給調整規定が合憲であるという結論を導いたものと思われる。


堀木訴訟最高裁判決の要点は,児童扶養手当と障害年金はいずれも稼得能力が低下した世帯に対する所得保障という同一の趣旨から出た制度であるから,有限な国家財源の適正配分という観点に立って立法府の専門的技術的裁量によって設けられた併給調整規定は憲法25条等に違反しない,という点にある。


記事の京都地裁判決自体はまだ確認できていないが(令和3年4月20日現在),記事から察するに,原告は憲法14条違反の点を主たる主張として支給停止処分取消請求をしたものと推測される。


憲法14条違反はたしかに重要な主張であり,近時の最高裁は憲法14条違反を比較的広汎に認める傾向にある。

しかし,本件のような併給調整規定の合憲性を争う事案においては,主たる争点は,憲法14条違反の前提を成す憲法25条違反にある,とみるべきではないだろうか。


判決文も読んでおらず,準備書面も確認できていない時点で,記事の内容のみから敢えて提言するとしたら,記事の原告は,控訴審以降では憲法25条違反を主戦場として争うべきだろう。


憲法25条の解釈に関しては,上掲堀木訴訟事件の控訴審判決(大阪高判昭50.11.10)が,1項2項分離論という解釈を展開している。

上掲大阪高判の1項2項分離論とは,憲法25条1項を救貧施策(生活保護)に関する規定,同条2項を防貧施策(生活保護以外の社会保障制度)に関する規定と解釈したうえ,後者の施策についてはより広汎な立法裁量がはたらくと解する見解である。


堀木訴訟事件控訴審判決(大阪高判昭50.11.10)は,憲法25条1項2項分離論を唱えて,児童扶養手当制度が救貧施策ではなく防貧施策であることを理由に,児童扶養手当法に併給調整規定を置くことは立法裁量の逸脱濫用に当たらず合憲である旨判示した。


上掲大阪高判の憲法25条1項2項分離論は,併給調整規定の憲法適合性を承認するための便法にすぎないと,憲法学者の多くから批判を受けた。


しかし,憲法25条1項と同条2項を区別して解釈し,同条1項に具体的権利性を認める余地を開いた点において,上掲大阪高判(大阪高判昭50.11.10)の意義は小さくない。


上掲大阪高判(大阪高判昭50.11.10)に触発されて,憲法25条の法的権利性に関する考察を深めた憲法学者は少なからず存在しており,近時は,同条1項は主観的権利(具体的権利)を定めたもの,同条2項は客観的法規範を定めたものと解する学説もあらわれている(例えば,藤井正希群馬大学准教授の「生存権の具体的な実現方法の憲法的考察 ベーシックインカムの実現可能性を中心にして」群馬大学社会情報学部研究論集 第 25 巻 91-114 頁 2018)。


堀木訴訟最高裁大法廷判決は,生存権侵害に関する司法審査の可能性について,明白性の原則という違憲審査基準を採用して審査すべき旨を明言した点において,それ以前の最高裁判決と一線を画する意義を有する。


明白性の原則を違憲審査基準として採用することの是非も含めて,堀木訴訟の類似事案である本件においては,裁判所における詳細な再検討が望まれる。

そして,我々法律家は,生存権に関する解釈を深化させる契機として,記事の事件を読み解く必要がある。

ただ,そのためには,記事の原告が控訴することは必須であり,今後の動向を静観しなければならない。