最近のニュースから【刑法~殺人未遂】

維新・梅村議員の秘書逮捕 知人を車ではね殺人未遂容疑


<記事抜粋>

「大阪府警は25日、路上で男性を乗用車ではね、殺害しようとしたとして、国会議員秘書の成松圭太(なりまつけいた)容疑者(31)を殺人未遂容疑で逮捕し、発表した。「ぶつけたことは間違いないが殺意はなかった」と容疑を一部否認している。」



<所感>

平成23年度司法試験論文式試験の刑事系第1問(刑法)で,ナイフで切りかかってきた相手方から逃げるために自動車に乗り込んだところ,相手方(乙)が自動車にしがみついてきて,「てめえ,やくざ者なめんな,逃げられると思ってんのか,降りてこい」と言われたため,相手方を振り落とそうとして自動車を発進させ,蛇行運転をした結果,相手方を振り落して頭部を強打させ頭蓋骨骨折等の重傷を負わせたことについての運転者(甲)の罪責や如何,と問う問題が出題された。


記事からは,詳しい事実関係は分からないが,記事を読んだ瞬間,上記の司法試験問題を連想した。


上掲司法試験問題の正解は,記事見出しと同じ,「殺人未遂罪」(刑法199条・同203条)である。


上掲司法試験問題では,運転者(甲)は,「乙が路面に頭などを強く打ち付けられてしまうだろうが,乙を振り落としてしまおう。」と思い,アクセルをさらに踏み込んで加速し,激しく蛇行させて振り落として乙に重傷を負わせたという事情があり,これを殺人罪の「(未必の)故意」を推認させる間接事実と評価できた受験生が高得点を獲得した,という問題である。


未必の故意とは,自己の実行行為により犯罪結果が発生するかが不確実であっても,犯罪結果が発生する蓋然性を認識しており,かつ,犯罪結果の発生を認容するという実行行為者の主観的態様を指す概念である。

ひらたく言えば,「結果が発生するかは分からないし,結果の発生を積極的に望んでいるわけではないが,結果が発生するかもしれないということはわかっている。しかし,今の状況を逃れるためには結果が発生しても仕方がないからやってやる。」という実行行為者の内心が未必の故意である。


本件及び上掲司法試験問題における「結果」は,人の死亡という結果である。

上掲司法試験問題では,実行行為者甲は,「乙が路面に頭などを強く打ち付けられてしまうだろうが,乙を振り落としてしまおう。」と思っていたのであるが,自動車が走行する路面はアスファルト舗装されて非常に硬い路面であり,甲は,自動車をさらに加速して激しく蛇行させて振り落とそうとしたのであるから,乙が振り落とされれば硬い路面に相当強く頭部を打ち付けてそれだけでも死亡する危険性が高いという事情が認められるうえ,公道上でかかる行為に出ると,振り落とされた乙が後続車や対向車に轢かれて死亡する蓋然性が高いという事情もある。

したがって,仮に,上掲司法試験問題の運転者(甲)が殺人罪の故意を否認していたとしても,甲が,捜査機関から,アスファルト舗装されている路面に相当強く頭部等を打ち付ける結果になる可能性があることの認識があった点,及び,公道上で乙を振り落とすと後続車や対向車に轢かれる可能性があることの認識があった点についての自供を引き出されてしまえば,これらの間接事実から,殺人罪の故意が推認されることとなり,殺人罪の未必の故意がある,と認定されることとなる。


記事の事件に戻ると,記事の事件の運転者は,殺人罪の故意を否認していると報じられている。

実行行為の態様等の詳細が記事からは判明しないが,被疑者は「ぶつけたことは間違いない」と自供しているらしいので,殺人罪の故意は否定できないだろう。


それにしても,国会議員の公設第1秘書が,議員に迷惑がかかるということも考えずに,こんなことをするということ自体信じられない。


殺人の故意を否認しておけば過失運転致傷程度で済むだろうという浅知恵だとすると,法的知識と社会常識の著しい欠落というべきであり,さらには反省心がみられない点できわめて悪質であり,これを過失運転致傷で軽く処遇してしまうと,再犯の可能性が著しく高まるといわざるを得ない。

端的にいうと,記事の秘書の規範意識は著しく鈍麻している(検察官がよく使う言い回し)。


現時点(4/26)ではまだ被疑者段階だから,詳しい事情も分からず決めつけるわけにはいかないが,適正な処罰が必要と思われる。