事例研究(国会議員の差別的発言) 2022/08/16

【なぜ起用?「LGBT生産性ない」何度も物議 杉田水脈氏が政務官に 旧統一教会問題も?】~テレ朝ニュース


<記事抜粋>

総務大臣政務官に就任した杉田水脈衆議院議員。

 過去の発言では…。

 杉田水脈議員:「男女平等は絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」「女性差別というのは存在していない」

 批判を受ける言動を繰り返してきました。

 さらに「LGBTは生産性がない」「女性は嘘を付ける」など去年、行われた政治家の性差別発言の投票ではワースト1位に選ばれるほどでした。

旧統一教会との関係が注目される今回の内閣改造。

 杉田水脈議員は旧統一教会との関わりを否定してきました。

 しかし、6年前のSNSの投稿では…。

 杉田議員のSNSから(2016年8月5日):「統一教会の信者の方にご支援、ご協力頂くのは何の問題もないのですが」

 旧統一教会との関わりを肯定するかのような投稿をしていました。


<争点>

法の下の平等


<所感>

最近の国会議員は「舌禍」という言葉を知らないらしい。

あるいは「舌禍」という言葉自体が死語と化したのか。

昔から、少数ながら男女平等を否定する女性が一定数存在しており、ずっと不思議に思っていた。

それは、私が男性であり、女性は歴史的に差別されてきた側だから全員男女平等の実現を目指すものと思い込んでいたからであって、これも一種の性差バイアス(偏見)だったのだろう。

それにしても「反道徳の妄想」という発言はいただけない。

これではまるで杉田議員は男尊女卑が正しい道徳観念であると言っているようなものだ。

個人的信念の発露としての発言であれば、表現の自由の埒内にあるものであって、許容される。

しかし、男尊女卑を社会通念とみなしてこれを固定化するための立法措置提言を、杉田議員が政治家として国会の議場で行ったものであれば、許容するわけにいかない。

なぜなら、憲法14条1項は、法の下の平等を定め、同項後段列挙事由の一つとして「性別」による差別を禁止しているからである。

性差バイアスとは関係なく、政府は、憲法適合的な立法措置をとらなければならない。

すなわち、男女を問わずすべての国民及びその代表者が、男女平等の実現を目指す立法措置をとらなければならない。

杉田議員は、男女の平等という憲法的価値を根本から否定する発言を、国会の議場で堂々と行っている。

それでも議員であり続けられるのは、彼女を議員として選出する有権者がいるからである。

これが国民主権=代表民主制の妙であり、かつて憲法学上の通説とされた純粋代表説によれば、代議士は、有権者の意向に拘束されず、自己の政治信念に従って自由に政治活動をすることができる。

つまり、純粋代表説によると、有権者は、代議士にとってはただの「票を入れてくれる良い人、ありがたい人」にすぎないのであり、それ以上でもそれ以下でもないという存在だ。

ただし、代議士も愚かではないから、公約として掲げたことを全部反故にして、有権者の信頼を敢えて裏切るという行動はとらない。

選出地盤内の全ての有権者から愛想をつかされれば、次回の選挙で落選することは必至だからである。

そこから、近時の有力説である半代表説ないし社会学的代表説という見解が憲法学の世界に登場する。

半代表説は、代議士は有権者の意向に法的には拘束されないが事実上有権者の意向を反映した政治活動を行うため結果的に有権者の意向が政治運営に反映される、とする見解である。

この半代表説が正しいとすれば、杉田議員を支持する有権者の中に、杉田議員と同様の思想、すなわち男尊女卑こそが正しい道徳観念であって男女平等の理念は反道徳的な妄想に過ぎないという反憲法的な危険思想を持つ者が少なからず存在するものと推測される。

こういう危険思想は自然法思想に立脚する近現代の価値観を毀損するおそれを有するものであって誤っている、ということを啓蒙するのもわれわれ法律家の責務である。

危険思想といえば「LGBTは生産性がない。」という発言も危険極まりない。

生産性がないものを切り捨てる発想は、やまゆり園事件の被告人植松聖と共通する。

植松被告人は、やまゆり園に押し入って大量殺戮を実行した際、障碍者一人一人に対して、お前はしゃべれるかと問い尋ね「しゃべれる」と答えた者の前を通過し、答えられなかった者を次々と刺突していったという。

想像するだけでもなんともおぞましい光景だが、杉田議員がしようとしていることは植松被告人とどこが違うのだろうか。

自らLGBT当事者を公言しLGBT当事者の権利保障を求める人に対して「お前はLGBTをカムアウトしているから正常な道徳規範から逸脱しているのみならず生殖不能な心身ともに不完全な人間だ。そんな人物を公的制度に組み込むことは断じてできない。」という思想に立脚し、杉田議員は、LGBT当事者を政治的社会的に「切り捨て」ている。

上記のような危険思想を杉田議員が持っているというのはあくまで私の推測だが、おそらく有効な反論はできないだろう。

「そんな危険思想は持っていない。」と仮に主張してきたら、「それでは『LGBTは生産性がない』発言の真意はどこにあるのか。この発言の正当性を裏付ける思想はいかなるものか。」と質問したい。

杉田議員のような国会議員が国会の多数を占めると、LGBT当事者はカムアウトできなくなる。社会に役立たない人間という烙印を押されることを恐れるのは、社会的動物たる人間の本能だからだ。

そうすると、LGBT当事者は自分のステータスをありのままにカムアウトすることができなくなり、数十年前の日本社会に逆行して、LGBT当事者が自分の声を押し殺さなければ生きていけない世の中に戻ってしまう。

「LGBTは生産性がない。」という発言がLGBT当事者の人格を著しく蹂躙する発言であることは、なるべく多くの人に理解されなければならない。

そして、願わくば、こういう危険な差別主義者が一刻も早く国政の場から消えることを祈るだけである。


※報道によると、植松聖被告人が障害者一人一人に対して「お前はしゃべれるか?」と尋ねたわけではなく、正確には、各部屋にいる担当職員に対して「(この部屋の障害者は)しゃべれるか?」と尋ねていたらしい。この点に関し、ここに訂正する。