事例研究(罪刑法定主義) 2022/08/23

【シンガポール、同性愛行為を非犯罪化】~AFP


<記事抜粋>


シンガポールのリー・シェンロン(Lee Hsien Loong)首相は21日、英植民地時代に導入された、男性同士の同性愛行為を犯罪とみなす刑法の条項を撤廃すると発表した。

ただし、結婚は男女間のみ認める方針を堅持するとしている。

シンガポール刑法377A条は、男性同士の性行為について、2年以下の禁錮刑の対象と定めている。

実際に適用されてはいないが、現代的な都市国家の文化にふさわしくない規定だとの批判があった。


<争点>

罪刑法定主義


<所感>


「法律なければ刑罰なし(Nulla poena sine lege )。」(アンゼルム・フォイエルバッハ)

これは一般に「罪刑法定主義」と呼ばれる刑事実体法上の基本原則である。

その内容は、或る行為は、それを処罰する根拠となる法律が事前に明確に定められていなければ、犯罪として処断することができないというものである。

罪刑法定主義は、国民の私生活上の行為の自由を確保する機能(自由保障機能)を有している。

日本国憲法上は、憲法31条(適正手続保障条項)の解釈から導かれる(通説)。

成文法主義を採る我が国では、成文実体法の根拠なくして或る行為を処罰の対象としてしまうと、いかに科刑手続の適正さを確保したところで、不意打ち的な処罰となることを避けられず、国民の人身の自由その他の人権を侵害する結果となるため、この罪刑法定主義は適正手続保障の前提として不可欠な基本原則と位置付けられる。

さて、引用した記事は日本ではなくシンガポールの話題であるが、シンガポールの現行刑法上は男性同士の性行為について2年以下の禁錮刑の対象と定められている。

シンガポールでも我が国と同様、罪刑法定主義が採用されているため、男性同士の性行為を合法化するためには、現行シンガポール刑法377A条の男性間性行為罪の規定を削除しなければならない。

シンガポールのリー首相は、男性間性行為を処罰の対象とすることが現代のシンガポール人の国民意識に沿わないと判断し、上記のシンガポール刑法377A条を削除する旨公表した。

このように、国民の規範意識の変化をふまえて、従前犯罪とされていた行為の科刑根拠となる刑事実体法規を削除し、非犯罪化することを「ディクリミナリゼーション(非犯罪化)」という。

我が国で現在ディクリミナライズ(非犯罪化)すべきだと議論されている行為の例として「大麻の所持」が挙げられる。

これを非犯罪化することの当否はともかく、大麻所持を合法化するよう主張する日本人が存在することは事実である。

上記は、国民が特定の行為について非犯罪化を主張する例であるが、次のような仮設例を考えてみたい。

日本政府が特定の宗教団体から強く要請されて、現行法上は犯罪とされていない男性間性行為を「犯罪化」(クリミナライズ)するために刑法を改正したとする。

我が国では前述の罪刑法定主義が採用されているため、刑法の中に「男性間性行為罪」の規定が創設されてしまうと、以後男性間の性行為は犯罪行為として処罰の対象となってしまう。

これは強制性交等罪とは異なり、たとえ性交相手との合意があっても性行為をした当事者双方が処罰されることとなる。

性質上の対向犯とされるのか、あるいは必要的共同正犯とされるのかはともかく、合意の上で性行為をしたことをもって、その当事者たる男性は両名とも「犯罪者」となる。

このような仮定が実現することはあり得ないし、想像すること自体馬鹿げている、という感覚を持つのが健全な現代日本人の感覚だろう。

しかし、万一、「統一教会汚染内閣」がこのまま政権を維持し、広く国民に対して、「同性愛は悪である。」という「啓蒙」活動をして、「男性間性行為罪」の創設を実現してしまったとしたら、どうだろうか。

強ち上記の仮設例のような事態は起こりえないことではないし、馬鹿げた話でもなくなってくるかもしれない。

旧統一教会の自民党に対する影響力は思いのほか小さいかもしれない。

しかし、現在、自民党の議員の大多数が反LGBTQを標榜していることからすると、「男性間性行為」の犯罪化の懸念が、まったくの杞憂に終わらないのではないかという疑念がどうしても払拭できない。

私が自民党と旧統一教会との関係切断を必要不可欠であると主張する背景には、このような懸念・疑念も一要因として存在している。