司法試験予備試験の問題で刑法について考える②:共謀共同正犯

(以下、令和5年司法試験予備試験短答式試験問題(刑事系)より引用)


第2問

次の【判旨】に関する後記1から5までの各【記述】のうち、誤っているものを2個選びなさい。

【判 旨】

共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が認められなければならない。したがって、このような関係において共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与しない者でも、他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったという意味において、その間刑責の成立に差異を生ずると解すべき理由はない。さればこの関係において実行行為に直接関与したかどうか、その分担又は役割のいかんは、共犯の刑責自体の成立を左右するものではないと解する。


【記 述】

1.【判旨】を前提にすると、殺意を有する者と傷害の故意にとどまる者との間で共謀共同正犯が成立する余地はない。

2.【判旨】は、共同正犯の成立には、実行行為の一部を分担することは必要ないとの立場に立っている。

3.【判旨】は、共謀共同正犯の成立には、単に関与者の内心における意思の合致があるだけでは十分でなく、客観的な謀議行為が必要であるとする考えと矛盾しない。

4.【判旨】に対しては、共同正犯を教唆及び幇助と区別することが困難になるとの批判がある。

5.【判旨】を前提にすると、共謀共同正犯の成立には、実行行為を行わない者が実行行為者に対して指揮命令をすることが必要である。


【解説】

1 イントロダクション

刑法60条(共同正犯)は「2人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」と規定している。

2人以上共同して犯罪を実行した者を刑法は「共同正犯」と呼び、共同実行者全員について正犯者としての刑事責任を問う旨定めている。

たとえば、高齢者から金銭をだまし取る計画をAとBが立てて、Aが被害者に電話を架けて「あなたの息子が痴漢で捕まった。わたしはその事件の弁護をする弁護士だが、一刻も早く被害者と示談を成立させて息子さんを釈放させたい。そこで、うちの若い弁護士を御宅にうかがわせるので示談金100万円をその弁護士に渡してください。」と嘘をつき、Bが若い弁護士を装って被害者の家に行き100万円を受け取ったとする。

仮に刑法60条の共同正犯処罰規定がなかったら、嘘の電話をかけたAには詐欺罪(刑法246条1項)の実行着手は認められるものの100万円をA自身が受け取ってはいないのでAについては詐欺未遂罪しか成立しないことになる。

他方、Bは嘘の電話をかけているわけではないので、詐欺罪の実行に着手しておらず、また被害者はその意思に反して100万円をBに渡したわけではなく任意に渡したにすぎないので窃盗罪(刑法235条)も成立しない。

Bについて成立しうる罪は100万円を独り占めした場合における単純横領罪(刑法252条1項)であるが、単純横領罪は詐欺罪と比べると科される刑の程度が軽い罪である。


しかし、Aは被害者を欺く行為(※この行為を刑法学者は「欺罔行為」と呼ぶ。)を担当し、Bは被害者から100万円の金銭を受け取る行為を担当しており、2人で分担して1個の詐欺行為を行ったと評価するのが社会通念に合致する。

刑法246条1項(詐欺)は「人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の拘禁刑に処する。」と規定しており、詐欺罪の成立要件(※犯罪成立要件のことを刑法学者は「構成要件」と呼ぶ。)は、①「人を欺」くこと(=欺罔行為)、②「財物を交付させた」こと、③詐欺の故意、④因果関係(詐欺の故意をもって欺罔行為を行った結果、被害者が財物を交付したという因果関係)と分析することができる。

このうち、①Aが欺罔行為を担当し、④Bが100万円の金銭という「財物」を被害者から受け取っている(=100万円の交付を受けている)が、AとBは被害者から100万円をだまし取るための計画を立てたことで③両者に詐欺の故意が認められ、またAの架電がなければBが被害者から100万円を受け取ることはできなかったという意味における④因果関係も認められる。

したがって、上記のケースにおけるAとBは2人で1個の詐欺を成立させたといえるため、両名とも詐欺の共同正犯(刑法60条・刑法246条1項)の罪責を負うことになる。


本問で引用されている【判旨】は、練馬事件最高裁判決(最大判昭33.5.28刑集12巻8号1718頁)である。

練馬事件最高裁判決は、最高裁判所が共謀共同正犯(※共謀共同正犯は共同正犯の一種)を肯定したリーディングケースである。


2 共謀共同正犯

共謀共同正犯とは、共同正犯の一種である。

共謀とは、さしあたり<犯罪の計画>つまり犯行計画と理解すれば足りる。

前記1で挙げた詐欺のケースでは、AとBが共謀しただけでなく、各自が詐欺の実行行為(※「実行行為」とは客観的構成要件に該当する行為を指す刑法用語である。)の一部を担当しており、両者に詐欺の共同正犯としての刑事責任を追及すべきと言える。

他方、共犯者全員が共謀(=犯行計画)に参加しているが、そのうちの一人が実行行為を分担せず共謀に参加したにとどまる場合に、その共謀参加者(非実行者)を「共同正犯」(刑法60条)として処罰することはできるだろうか。

共犯者のうち一部の者が共謀に参加したにとどまり、実行行為を分担していない場合にも当該共謀参加者に対して実行行為者と同様に「共同正犯」の刑事責任を追及する考え方を「共謀共同正犯」の理論という。

共謀共同正犯の有名な具体例を挙げると、オウム真理教の教祖が信者に対し「〇〇氏をポア(※ポアとは、オウム真理教における隠語で「殺害」を意味する言葉)せよ。」と指示を出したにとどまり、自らは殺人罪を実行していないにもかかわらず、当該教祖について殺人罪の共謀共同正犯の成立を認めた例がある。

共謀共同正犯については、かつて学説上、肯定説と否定説が対立していた。

肯定説の主な根拠は、たとえ共謀のみに参加していた人物であっても犯罪被害結果の発生に貢献している以上、実行行為者と同等の刑事責任を負わせるべきである、というものである。

そもそも共同正犯(刑法60条)規定が適用される場合において何故全員<正犯>(※正犯とは簡単にいうとメインの犯罪者である。正犯の対概念に<従犯>という概念がある。)として処罰されるか、その処罰根拠を考えると、一人で犯行計画を立てこれを実行するよりも、複数の者が犯行計画を話し合い、電話をかけて騙す役割と現場に赴いて現金を受け取る役割のように実行行為を分担することによって犯罪被害が発生する蓋然性ないし危険性が高まるため、その刑事責任を弱めて分散させるのではなく重い刑事責任を全員に負わせるべきという点に求められる。

そうだとすると、共謀に参加したにとどまる者であっても、その発言や態度によって犯罪被害結果を発生させる危険性を高めている場合には、その者にも実行行為者と同じように重い刑事責任を負わせる必要がある。

これが共謀共同正犯肯定説の考え方である。

これに対し、共謀共同正犯否定説は、共謀に参加したに過ぎない者も「共同正犯」として処罰すると、刑事責任の重さに軽重の区別をつけ、<従犯>を<正犯>より軽く処罰する旨定める刑法の規定(刑法63条・62条)の趣旨が没却されることになりかねない等の理由から共謀共同正犯を認めるべきではないと主張する。

共謀共同正犯否定説の論者は、共謀参加者の各自が実行行為の一部をそれぞれ担当しなければ「共同正犯」としての刑事責任を負わせるべきではないと考えている。

共謀共同正犯否定説はかつては有力に唱えられていた。

刑法上の基本原理である「罪刑法定主義」及び「責任主義」の観点から、犯罪者に刑事責任を負わせることについてはできる限り謙抑的となるべきであり、実行行為の一部すら担当していない共謀参加者に正犯としての責任を負わせるのは過大な刑事責任追及である、と刑法学者の多くが考えていたからである。なお、刑法60条には「2人以上共同して犯罪を実行」と定められていることから、その反対解釈により実行行為を担当していない者を共同正犯者とすることは罪刑法定主義違反に当たるといえる。

もっとも、共謀共同正犯否定説に対しては、肯定説の論者から「たとえば暴力団の組長が組員に指示を出して、対立する他の暴力団の構成員らを殺害させた場合に、当該組長こそ最も重い刑事責任を負うべきではないか。」などの批判がなされており、刑事実務(警察・検察)の世界では共謀共同正犯肯定説が採用されてきた。


共謀共同正犯を肯定すべきか否定すべきかの問題に一定の解答を示したのが上掲練馬事件最高裁判決(最大判昭33.5.28刑集12巻8号1718頁)である。

練馬事件最高裁判決は、「二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実」が認められる場合に共謀共同正犯が成立すると述べて共謀共同正犯肯定説を採用した。

これは、共謀共同正犯肯定説のうち、共謀共同正犯を間接正犯類似の犯罪として法律構成する立場を採用したものである。

間接正犯とは、他人の行為を自己の犯罪実行のための道具として利用し、犯罪被害結果(又は結果発生の危険性)を発生させた者を正犯者として処罰する刑法理論である。

たとえば、医師Xが入院中の患者Yを毒殺しようと考え、事情を知らない看護師Zに毒薬のアンプルを渡しながら「これはYさんの治療に必要な薬だ。なるべく早くこの薬をYさんに静脈注射してくれ。」と依頼し、Zが事情を知らないままXに命じられるがままにYに毒薬を注射してYを死亡させた場合、看護師Zではなく、医師Xが殺人罪(刑法199条)の間接正犯の責任を負うことになる。

上記の間接正犯の例の場合、医師Xは毒薬を注射する実行行為そのものは行っていないが、XがYを殺害する故意をもって看護師Zに毒薬を渡した時点でY死亡の結果発生の危険性が高まっており、実行行為に着手したと評価することができる。

この間接正犯のケースと同じように、共謀のみに参加した者の発言・態度により犯罪結果発生の危険性を高めたと評価できる場合、この共謀での発言・態度をもって共同正犯の実行に着手したものとみなし、共同正犯(刑法60条)としての刑事責任(罪責)を問うべきである。

このように考えることによって、犯罪を指示したにすぎない暴力団組長やオウム真理教教祖にも「共同正犯」としての責任を追及することが可能となる。

以上が、練馬事件最高裁判決以後の最高裁判例の見解である。


3 各【記述】の検討

⑴ 【記述】1について

最高裁判例(決定例)は、共謀者間で異なる故意を持っている場合に、異なる罪名の犯罪がそれぞれ成立し、そのすべての犯罪について共同正犯の成立を認めることができると判示している(最決平17.7.4刑集59巻6号403頁)。

この点、上掲練馬事件最高裁判決(=本問の【判旨】)は、異なる故意を持つ者たちにおける共謀共同正犯の成立を否定する趣旨ではないから、【判旨】を前提としても、「殺意を有する者と傷害の故意にとどまる者との間で共謀共同正犯が成立する余地はない」とはいえない。

よって、【記述】1は誤りである。


⑵ 【記述】2について

本記述は正しい。

前記2で説明した共謀共同正犯の意義を確認してほしい。


⑶ 【記述】3について

本記述は正しい。

共謀共同正犯肯定説はさらにいくつかの学説に分かれ、関与者の内心における意思の合致があれば足りるとする説もあるが、客観的な謀議行為(=共謀)の存在が必要であるとする説も有力である。


⑷ 【記述】4について

本記述は正しい。

共謀共同正犯否定説の論者は、共謀共同正犯肯定説に対し、<肯定説は、正犯と従犯の区別を曖昧化する見解であるから採用すべきではない。>と批判している。


⑸ 【記述】5について

本記述は文末の「…指揮命令をすることが必要である」が誤り。

この点についても、共謀共同正犯肯定説のなかで学説の対立があり、指揮命令行為必要説と指揮命令行為不要説に分かれている。

たとえば、指揮命令行為必要説の立場に立つと、暴力団組長やカルト教団教祖の発言に「〇〇を殺せ」という具体的な命令行為がない場合には共謀共同正犯が不成立となる。

しかし、実際には、部下や信者が組織のトップに向かって「〇〇を明日殺しましょうか?」と質問したのに対し、黙って頷いただけで殺人罪の共謀共同正犯の成立を認めた例がある。

すなわち、刑事実務の世界では、指揮命令行為不要説が採用されており、この不要説は本問の【判旨】と矛盾しているわけではない。

よって、「…指揮命令をすること」は必ずしも必要ではないから、本記述は誤りである。


4 結論

以上より、誤っている【記述】は1と5である。